インタビュー「詩人の目で切り取った世界を、さまざまな形で表現したい」チェン・ウェイティン(現代美術家)
取材・文)南部健人 なんぶけんと インタビュー
写真)Yoko Mizushima
東京に拠点を置き、詩、絵画、映像、彫刻などジャンルを横断しながら創作に取り組む台湾出身の現代美術家、チェン・ウェイティンさん。「黄色い熊」をはじめ、動物をモチーフとした幻想的なキャラクターが織りなす世界観が注目を集めている。
これまでニューヨーク、マドリード、ドバイ、香港など海外でも個展を多数開催。本年末には台湾の高雄で個展が開催される。
活躍の場を広げるチェン・ウェイティンさんに、詩と創作の関係、日本に来てからの変化、今後の展望などについて聞いた。
《Promise》, 2023, acrylic, oil pastel and colored pencil on canvas,153x121.5cm
台湾から日本へ
――チェンさんは台南のご出身だそうですね。
生まれたのは台南ですが、台湾では何度も引っ越しをしました。屛東へいとう、高雄、台北、台中で暮らし、今は東京に生活拠点を置いています。まるで遊牧民のように住むところを変えてきました。何度も新しい環境に身を置くなかで、それぞれの違いを敏感に感じ取れるようになりました。街の匂い、雰囲気、人と人との距離感など、そうした違いを私自身とても楽しんでいます。
移動を繰り返すうちに、その土地の細部に注目する癖がつきました。空の色や、町を行く動物、ご当地グルメの匂い。どこに行っても「異郷人」だったので、そのことでかえってどの土地のこともよく記憶しているんです。一つひとつの「記憶」が、私を書くことへと向かわせます。
――展覧会やアーティスト・イン・レジデンスなどで世界各地を訪れていますが、なかでも日本での暮らしは肌に合っていると感じていますか?
日本の静かで落ち着いた環境は、創作に適していると感じています。日々の生活からインスピレーションを受けながら、同時に台湾のことも客観的に見つめられるので、とても気に入っています。 先日も台湾から戻ったばかりですが、どうしても友人や知り合いと会う時間が増えるので、なかなか集中して創作に取り組むことができません。
私は2019年、コロナ禍が本格化する前に来日しました。日本語学校で日本語の基礎を勉強してから、翌年に東京藝術大学(グローバルアートプラクティス専攻)に入学し、卒業後も東京にアトリエを構えて創作を続けています。
台北市立大学視覚芸術科で修士号を取得したあと、海外で学びたいと思い、選択肢として浮かび上がってきたのが日本でした。それ以前から日本のことをよく知っていたわけではありませんでしたが、姉が日本でデザインを学んでいたり、台湾の友人にも先に日本に来ている人がいたりしたので、親近感は抱いていました。何より台湾から近いというのも大きな魅力です。そこで私も日本に行って芸術の勉強を続けることにしました。
《Lonely room with you》, 2023, acrylic, oil pastel and colored pencil on canvas, 108x89cm
詩人の目でしか見えないものがある
――チェンさんは、詩や、絵画、彫刻、映像など幅広いジャンルで創作を行われていますね。初めて創作に取り組んだのはいつでしょうか。
詩の創作が一番早く、たしか中学生か高校生の時だったかと思います。国語の授業で台湾の現代詩と出合ったのです。文章、特に自由詩による表現は、これほどまでにのびのびとしているのかと感動しました。 高校生の頃は詩を書き続けていました。私が現代詩にのめり込んでいったのは、それが遊び心に満ちているからでもあり、リアルなものでもあり、また時に一種の欺きでもあるからかもしれません。自身のさまざまな感情をそこに込めることもでき、それらはゴーストのように透明でありながらも、確かにそこに存在している。そうした現代詩の多様な魅力に惹かれ、楽しむようになりました。
「すべての作品が詩である」――これは私の創作における重要なコンセプトです。たしかに、私は絵画や彫刻などの創作もしていますが、あくまでもそれらはすべて詩の延長線上にあるものなのです。詩文は私のあらゆる創作の源泉です。今後も多様な表現形式が採られていくことになるかと思いますが、それらはすべて詩を異なる形で表現していることに変わりはありません。
私が表現形式の〝翻訳〟に関心を持ったのは、大学生の時に、コンテンポラリー・ダンスカンパニーの雲門舞集(クラウド・ゲート)の舞台を観たことがきっかけです。伝統文化にモダンの要素を掛け合わせた雲門舞集のパフォーマンスは世界的にも有名です。
輔仁大学で中国文学を学んでいた私は、屈原くつげんの代表作『楚辞そじ』に収められている「九歌」という古典作品が、雲門舞集によって舞台化されると知り観に行くことにしたのです。古典詩は読むのが難しいだけでなく、韻や平仄ひょうそくなど創作の上でも細かいルールが多く、現代詩と違ってあまり自由がないと私は感じていました。正直に言えば、少し退屈であるとさえ感じていました。
ところが、雲門舞集によるダンスと音楽を織り交ぜた「九歌」に、私は強く惹き込まれました。彼らの舞台を通して、古典作品であっても、他の形式で表現することで、作品の魅力をより多くの人に伝えることができると実感したのです。
――多様な表現形式があるなかで、チェンさんが詩を創作の出発点として選ぶのはなぜですか。
詩人の目によって世界を見つめることでしか見えないものがあると思うからです。 たとえば、私の好きな詩人のひとりに谷川俊太郎さんがいます。私が谷川さんの詩を読んでいて感じることは、日常の何気ない風景が、彼の言葉を介して眺めることで、全く違ったふうに見えることなんです。町行く猫、街路樹、そよ風、日の光などが、彼の言葉を介することで、ロマンあふれるものとして映るのです。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」とは『星の王子様』の中に出てくる言葉ですが、詩人の目を通すことで、初めて見えてくるものがあると思います。私はそれを詩のままで表現することもあれば、絵画や彫刻などで表現することもあります。しかし、根本はどれも〝詩〟であることに変わりはありません。
《Don't cry》, 2021, bronze, H45cm
《The Bremen Band- together》, 2022, acrylic and colored pencil on canvas, 88x106cm
――中国の画論には「書画同源」という考え方がありますが、チェンさんの取り組みは現代的でありながらも、実は伝統文化の深いところに根差しているとも言えますね。
自分自身ではそこまで意識することはありませんが、日本に来てから、古典文学をはじめ、台湾で学んだことを客観的に見つめることは増えたように感じています。
詩を異なる表現形態と掛け合わせることで言えば、私が大好きな貴州きしゅう出身の気鋭の映画監督の畢贛(ビー・ガン)氏が思い起こされます。彼の代表作である『路邊野餐(邦題:凱里ブルース)』は、監督の故郷である貴州の山村が舞台になっています。 作中では、幻想的で牧歌的な映像とともに、主人公が現代詩を朗読する場面が断片的に挿入されます。一見、ストーリーとは無関係に見える抽象的な詩ではあるのですが、それが朗読される間、独特な静謐せいひつが作品には漂い、そこから現実と記憶、過去と未来などの境目が失われた、混濁した世界へと導かれるように感じられるのです。 詩によって生み出されるリズム感や想像力が、映画のストーリーと重層的に掛け合わされることで、独自の世界観を表現することに成功していると感じています。
私の知り合いの台湾の詩人たちも、詩を映像作品や音楽と組み合わせて表現するなど、試行錯誤をしている人が多いです。詩の限界を破り、可能性を広げるための取り組みをしているのです。
悲しみがあるから喜びを感じられる
――チェンさんの絵画作品では、動物をモチーフにしたものが多いですが、そのなかでも頻繁に登場するのが「黄色い熊」ですね。単に可愛らしいものだけでなく、なかには涙を流していたり、暗い表情をしていたりと、さまざまな感情が込められているように思われます。
「どうして熊なのですか」とよく質問されるのですが、私にもよく分かりません。小さい頃によくさまざまな動物が登場する絵本や、アニメなどを見ていたことが関係しているかもしれませんが、特段、熊を描こうと思って描き始めたわけではないからです。
私が本格的に絵画作品を描き始めたのは、台北市立大学大学院の修士課程に在籍していた時でした。
授業の課題で油絵を制作した際に、脳裏に自然と浮かび上がったのが黄色い熊でした。その時に描いたのは、きれいに整えられたスーツを全身にまとった無表情の熊の姿で、どこか遺影のようでありました。暗い雰囲気を帯びていましたが、私自身はその熊の絵をとても気に入りました。それ以来、熊はずっと私とともにあり、一緒に成長しています。
確かに私が描く熊にはネガティブな感情がたびたび宿っています。疑いや、悲哀、不安などの色がそこには浮かんでいます。しかし、こうした感情が存在しているからこそ、人はまた喜びや楽しさといったポジティブな気持ちも感じられるのではないでしょうか。
《Finding Peace between Light and Dark》, 2023, acrylic, oil pastel and colored pencil on canvas, 120x99 cm
《Share an apple》, 2021, acrylic, oil pastel on canvas,72.5x60.5cm
――日本に来てから、黄色い熊をはじめ、チェンさんの絵には変化が生じましたか。
変化したと思いますし、周りの友人からもそう指摘されます。
日本に来て間もなく、コロナ禍が始まりました。台湾では隔離制度をはじめ非常に厳格な防疫措置がとられていたため、私は長らく台湾に帰ることができませんでした。
そのなかで、祖父が病でこの世を去りました。祖父との最後の時間を、私はビデオ通話越しでしか過ごすことができず、葬儀にも出席できませんでした。この間、台湾に帰りたくても帰れないもどかしい思いを、私はただ詩に託すことしかできませんでした。
これらの出来事は、私に生命について深く考えさせることとなりました。どんな人も死を避けることはできません。そして、人が生まれてからこの世を去るその瞬間まで、生命は常に変化し続けます。大切なのは、最後には死を迎える生命をただ悲観的に捉えるのではなく、一瞬一瞬変化していくなかで常にバランスを取り続けることではないでしょうか。光と影は相対的に存在しています。どんな光のなかにも影があり、暗闇の隅には光があります。
また、日本のキャラクター文化の影響も少なからず受けていると思います。 日本に来て驚いたことの一つが、どこに行っても、マスコットキャラクターやゆるキャラが存在していることです。各都道府県にはもちろん、交通系ICカードにも、商店街にも、マスコットキャラクターが存在しています。私の住居の目の前にあるクリーニング店にさえマスコットキャラクターがいると知った時は思わず笑ってしまいました。
そこには万物に魂が宿っているとみるアミニズムの思想があると思います。本来、生命が宿っていないものに対しても生命を見いだす日本の感性が、今のキャラクター文化にも脈々と受け継がれているのではないでしょうか。一つひとつのキャラクターがその土地の文化や歴史を象徴するとともに、非常に柔らかい印象を与えてくれるので、とても親しみやすいです。
ほかにも、日本で学び始めてから、優れた多くの絵本作家や画家と出あい、創作上のインスピレーションを受けています。荒井良二さんや長新太さんの作品が特に好きで、豊かな色彩感覚だけでなく、彼らの絵本で表現される不思議な世界にも憧れを抱いています。画家ですと、大正・昭和初期に活躍した早世の洋画家である佐伯祐三の作品に最近は関心があります。興味がある展覧会があれば、なるべく足を運ぶようにしています。
日本に来てからさまざまなことを経験するなかで、創作に対する姿勢も変わりました。今、私は改めて「観察」ということにより注意を払うようになりました。新しい場所を訪れるたびに、そこで感じたことや、脳裏に浮かんだことなどを記録するようにしています。出会った人や、そこで交わした言葉など、生活の痕跡の中から、次の創作につながるものが見つけられると思うのです。
《One day I will gone with an ocean》, 2019, acrylic, colored pencil on canvas, 81x68cm
《The dog and the light on the sea》, 2023, acrylic, oil pastel and coloured pencil on canvas, 96x77cm
――意欲的に創作を続けるかたわら、企業などとコラボレーションして、イベントのトータルデコレーションや、商品のパッケージデザインなども手がけていますね。チェンさんの今後の目標を教えていただけますか。
日本に来てから、他のアーティストや企業とコラボレーションする機会が増えました。自分にはない考えに触れるなかで、自身の創作がより開かれたものへ変化している実感があります。 近い目標としては、今年の年末には高雄で、来年には台南での個展の開催が決まっていますので、そこに向けて創作と準備に注力していきたいです。 長期的な目標については、海外で自身の作品がコレクションされることや、アーティスト・イン・レジデンスなどを活用してさまざまな場所で創作を続けていきたいです。そのなかで自身の中に眠る未知なる作品と出合えればと思っています。
また、詩も書き続けていきたいです。これは目標ではなく、理想の生活と言った方が正しいかもしれませんね。いつか自身の詩集を日本でも発刊したいです。
冒頭でもお話したように、日本の落ち着いた生活環境は創作に適していると感じています。年末の高雄での個展に向けて、日本と台湾を行き来することが多くなるかと思います。それぞれの地の新しい変化を感じ取り、それらを創作の糧にしていきたいです。
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